カウンセリングでも他人軸!?

 

カウンセリングでも他人軸だった )o(

だから、いつもカウンセリング中に、もやもやイライラしていたんだーーー

 

 

カウンセリングを受けると、もやもやイライラすることが多く、

無駄だったかな~と後悔したり、カウンセラーに八つ当たりしていました。

もっとちゃんと効果を感じられるようにカウンセリングしてよ!

始めから本気でやってよ。カウンセリングってなに?だた雑談しているだけじゃん。自分の話したいことを話しているだけじゃん。あたしの解決に、関係ない話ばっかりじゃん。こんなものに大金使って、あたし何やってるんだろう?騙されてるのかなー?相手はお金儲けのためでやってるのかなー?本当に私のためにしてくれているのかな?って不安でもやもやしてた。

 

もうその話良いよ。なぜこうなっているのかの説明はいいよ。それは知ってるよ。それで、それをどうしたら良いかを教えてよ!ってイライラ イライラ、、、

(こんなのってあたしだけなのかなー??)

 

今日もまた、その心の仕組みの説明は知っているから、もういいよ。それより楽にしてよ。って腹が立った。

 

カウンセリングは相手がプロで、相手のフィールド。だから、お任せ~って感覚だった。

どういうものかもよくわからないし、何をするかもわからないし、何か新しい手法があるんだろうなー、カウンセラーが魔法をかけてくれて、私は楽になったり変われたりするんだろうなーと完全に受け身スタンス。=他人軸

(あっ新しいことをするときっていつもそうだな~。まず相手の出方をみるというか、相手のやり方に合わせる。それで、方法や空気とかわかってから、自分の感覚の中で、その場に合いそうなことを選んで出す。これ、私の中にあるパターンだわ)

 

 

自分が楽になり変わることが目的だ。

だけど、変えてもらうんだから、相手の機嫌をとって、相手のコンディションを良くしようと、カウンセリング中は自分より相手の機嫌を優先していた。

だからもやもやイライラしていたんだなーと納得。

 

カウンセリングの手法は、だいたい、

感情の解放をしていって、自分に合う新しい価値観をインプットすること。

カウンセラーの仕事はそれをサポートすること。

あくまで、自分が主役。

なのに、自分がわからないから、相手に全部お任せしてしまう。自分は無力で何もできない。相手に変えてもらわないといけない。それしか方法がないと思い込んでいた。

 

私の感情をカウンセラーが受容してくれることで解放され癒されていく。

だから、まず私が自分の感情を伝えないと、始まらない。

だけど自分の感情がわからなかった。だって、相手の感情や機嫌ばかりに注目していたから。

相手は、サポートしたいけど、感情を出してもらえないとできない。そのもどかしさからイライラしていたんだろうなー。感情を出せない出さないのは心を開いていないから。だって、騙されていないか、本当に変えてもらえるか、効果は本当にあるか、疑っていたもん。そりゃ余計な雑念抵抗ありまくり。そりゃあ、自分の感情がわからなくて当たり前だな。

相手も感情を受容して解放してあげたいけど、私が感情を表出しないから、引き出そうといろんな話をしながら、私が感情が引っ掛かるところがないか必死に探してくれていたんだな~。そんなことはいいから私の話を聞いてよって思ってた。(どんな話を聞いてほしかったの?)

 

今のカウンセラーさんは受容の姿勢はすごく素晴らしいと感じるから、あとは私がリラックスして、心を開いて、感情を表出せば、きっと変われる。

 

もういいよ。もう、向き合おう。もう許してあげようよ。もうゆるんでいいよ。もう我慢してきた感情出していいよ。もう受け止めるよ。もう我慢しなくていいよ。もうすべてを許していいよ。許せないなら、許せない―っていう感情出していいよ。Tさんなら、受け止めてくれるよ。信頼していいいよ。もうそのままありのまま出そう。

 

次のカウンセリングでは、Tさんは味方。わたしのために必死でやってくれている。

わたしはどうなりたいのか。

自信を持って生きたい。自分の才能を認めて伸ばしたい。楽しく生き生きと生きたい。人と心地よく楽しく過ごしたい。人を好きになりたい。恋愛を楽しみたい。人生を楽しみたい。

『変わりたい』という目的を思い起こして、向かおう。

自分のため自分のため。と言い聞かせて、自分軸で受けるぞ!!

 

(そういえば、今回は初のお泊りだったし、とりあえず行けたら良しっていう感覚が強かったかも。目的は果たしていた、、、ってこと?かも^^)

 

 

人はただのサポーター

 

  どんなにすごい人だろうが、素敵な人だろうが、成功している人だろうが、憧れる人だろうが、人の言葉は、単なる愛あるアドバイス

わたしのためを思って、その人が渡せる愛を表現しただけ。

すべては私の幸せのため♥

 

だから、わたしが幸せにならなければ意味がない。

言われたアドバイスがしんどくてしんどくて、どうしようもないなら、それを実行しなくてもいい。今はそれを実行するタイミングではないのかもしれない。

 

わたしの人生の主役はわたしだ。

人は、どんな人だろうが、そこに登場している脇役にすぎない。

それらの人からのアドバイスを聞いて、どうするか自分で決めていい。

 

アドバイスを素直に聞き入れない人は成功しにくい、効果が出にくい。

そんな暗示クソくらえだ。そんな言葉を気にして、必死に言われたアドバイスを実行しても、自分で選択していないから無力なままだ。

アドバイスを聞き入れてもいいけど、聞き入れなくてもいい。

 

 

今はその内容をする気にならない。しんどいと感じるなら、そのアドバイスを実行するのは今じゃない。

そのアドバイスはもしかしたら、今じゃないいつかのためのアドバイスなのかもしれない。

今が実行するタイミングかどうかは自分にしかわからない。

 

どんなにすごい人でも、自分とは全くの別人。自分のすべてを知っている人ではない。自分のことは自分にしかわからない。

 

だから、自分が目指している人、幸せそうな人、成功している人から頂戴したアドバイスはありがたく受け取って、実行するかは自分で決めよう。

わたしの幸せのためを思って、アドバイスしてくださってありがとうございます。その思いがとてもうれしいです。って。

それで実際に実行するかは別の話。参考にさせてもらいました。ってね♥

 

あ~~、そう思うと、実行しなくても良いと思うと、気分が楽になってくる。

自分に力が戻ってくる感じがする。

 

人はサポーター 自分が主役♥

 

 

嫌われる勇気

『傷ついたら、とことん悲しめばいいんですよ』

 

 

ドラマ「嫌われる勇気」

その中で、印象に残っている言葉です。。

 

「必ず成功する。成功したら○年後、ここでもう一度会おう」という元恋人の言葉が信じられず、その約束の場所に行かなかったことを後悔している女性に対して、アドラー心理学を体得している主人公が放った言葉。

 

主:「なんで信じてあげなかったの?大切な人の言うことをどうして信じてあげな

   かったの?傷つくのを恐れて逃げたんでしょ?」

 

女:「怖いに決まってるじゃない。好きだから、裏切られたらめちゃくちゃ傷つくの」

 

主:「傷ついたら、とことん悲しんだらいいんです

 

 

ふぅ~かっこよすぎる~~~♥

 

傷つくのが怖くて、逃げることってありませんか?

 

あたしは、自分から逃げること多くありました。もう癖になっているかも。泣

特に恋愛場面

 

お互い好い感じになったり、好かれていて幸せを感じると、怖くなって逃げるか、嫌われるようなことを無意識にしていて、振られます。

不意打ちで、振られたり裏切られたり好かれなくなったりしたら、ショックすぎて死にそう。それくらい耐えられない痛みだと感じるから、そんな目に遭わないように、初めから深い関係を築かないようにしているんだろうな~。

怖いのよね。怖くて怖くてショックで耐えられなくて、何も手につかず、仕事にも行けず、生きる気力を失う。そんなみっともなくて情けない状態になる自分を見たくない。

(人は、そんな一つの恋愛くらいで、そこまで崩壊しないイメージだから、人と違う自分はダメ、わたしは未熟だと感じるのもある)

そんなみっともなくて情けなくてかっこ悪い自分は、いらないって排除しているのかも。人にそんな自分を見られるなんてもってのほか。絶対プライドが許さない。振られて、すでに傷ついたプライドがさらにえぐられるようなもの。恥ずかしすぎて死にそうだし、自分を保てない。

みっともなくて情けなくて憐れで惨めな自分を、人(友人知人)に見られるのが一番嫌なのかも。

 

わたしは、人から好かれていて、素敵なパートナーがいて、ラブラブ。人がうらやむような存在でいないといけないって思っているのかも。

人から愛されるわたしじゃないと存在価値がない。

 

仕事においてもそうだった。

仕事が何でもできて、人から羨ましがられる自分でないと価値がない。

だからミスする自分とか、人のようにできないことがあると、必死に隠してできる風を装っていた。(人からはバレバレだったんだろうな~、そう思うと余計に恥ずかしい。泣)

 

かっこいい自分で居続けようとした結果、うつになり、死にたくなるほど、とってもしんどい思いをしたから、もうね。プライドなんて捨てちゃいたいよ。

人は、ありのままの自分でどんどん成長していってるのに、わたしは張りぼての自信ばかりで、全然成長していない。そんな焦りもあるし、見栄はってかっこいい自分でいても、本当は全然幸せじゃなかったんだよね~。あの空虚感はもう嫌だな~。

 

まぁそうは言っても、そんな簡単にプライド捨てられなくて、すぐかっこつける自分がいるんだよね~。

 

そんな時に、思い出したい言葉ですね。

 

「傷ついたらとことん悲しめばいい。」

 

だから、逃げずに挑戦してみてもいい。

挑戦してみて、傷ついたり恥ずかしい思いをしたら、とことん悲しめばいいんですね。

 

恥ずかしい思いをしたくないっていうのも強いから、恥ずかしい思いをしたら、

恥ずかしく死にそうだよ~と思い切り恥ずかしい気持ちを感じればいい。

 

感情を感じてあげよう。

 

 

恥ずかしさや悲しさ、寂しさ、虚しさ、恐怖、不安

感じたくないこれらの感情、感じれる自分になりたいな♥♥

そうなったら、心の底からの安らぎ 幸せを感じられるんだろうな~♥

そして、いろんなことに挑戦できる、等身大の自分で成長していく。。。

やりたいことがわからない?

 

やりたいことがわからな〜いって悩むときありませんか?

 

あたしは、ここ1年半まさにその、やりたいことがわからない地獄でした。笑

 

 

今も、やりたいことはこれだー‼︎って言えるものは見つかっていないけれど、

 

やりたいことがわからな〜い>_<地獄からは抜け出せました。

 

それは、にっくんのメルマガのおかげ❤︎

 

「やりたいことは体で見つける」

 

動いてみて、やってみて、初めて、あっこれやりたかったやつだーこれだー‼︎とやりたいことだったかどうかがわかるとな♪

 

あたしは頭だけで、

これかなー?あれかなー?でもやっぱりこれかなー?

 

ってグルグルぐるぐる、やりたいこと探しのループにはまってました。そして、やりたいことが見つかってから、動くのが良いと思い込んでました。

失敗を恐れ、一発で成功させるんだと、なんだか意地張ってたんだな〜

(この意地についてはまた別記事に)

 

トライ&エラー

 

やってみて、違ったら、

あっこれはあたしのやりたいこと楽しいことじゃないんだーと答えがわかる。

そしたら、他に惹かれるもので、そのときの自分が楽にできそうなものからしてみる。

 

転職上等♪

 

社会(相手)より自分の人生

大事にしていこっ♪♪

 

まっでも、なるべく、

社会(相手)への迷惑が少なく済むようにできる限りの配慮はしよう(^^)

 

 

覚えておきたいこと

 

「やりたいことは、動いて体験してみて、初めてわかるもの」♪( ´▽`)

 

「一発でわからなくてもいい。転職することになってもいい。時間かけて人生かけて、自分のやりたいこと(楽しそうなこと)を見つけていこう」

 

 

 

どう伝える?仏教

 

もしも子供に聞かれたら?

 

 

仏教や宗教は、自分が幸せに生きるために必要なんだよって

 

宗教とは、生かされてることに感謝することなんだよ

 

今、この世に生きられてることに感謝することなんだよ

 

見えないものの力を忘れずに感謝すること

 

それが1番大切なんだよ

 

それができるなら、どんな宗教でもいいし、無宗教でもいいんだよ

 

世にある宗教の枠にはまらなくていいんだよ

 

だから

細かいしきたりや習わしは、完璧にできなくてもいいんだよって

 

大事なのは、心なんだよ

 

 

あたしの体験談を話してあげよう

 

鬱になって死にかけて、宗教(心の持ちよう)の大切さを知ったこと

 

長く生きていると、人はね、いつの間にか、忘れちゃうことがあるんだよ

 

自分は生かされているんだってこと

 

まるで自分の力だけで生きてきた、そして生きているように感じることがあるんだ

それは辛く苦しく孤独な世界なんだよ

生き地獄

 

だから、幸せに生きるために、宗教(定期的に自分は生かされていることに感謝する習慣)は必要なんだよって

 

 

まぁ忘れちゃっても大丈夫だよ

 

きっといつか必ず思い出すから

 

 

とにかく、

今生きれていること、今あるものに感謝する気持ちだけは大切に持ち続けてほしいな〜❤︎

 

信じるものは救われる

( 覚書程度にここに書いておく)

 

神社やお寺への参拝って

 

自分が自分がというエゴを戒めるため

傲慢になるのを防ぐため

自分1人でここまで生きてきて、自分が自分の力でもって、いろいろ成し遂げているという感覚を手放し

生かされているという感覚を取り戻す

感謝を意識する

謙虚さ、自然や宇宙に比べたら人間(自分)は小さいということを意識する

 

 

ためなんじゃないかなー?

 

 

これは、自分が生きていくために

大切なこと

 

 

お寺の仏様だろうが、神社の神様だろうが、ソースだろうが、なんでもいい

 

宗派なんて、どれでもいいし、混ざってもいい

 

 

大切なのは、自分の心の有り様だ

 

 

その宗教の習わし、決まりごとを完璧に守って正しく行動することは二の次でよい

 

 

最も重要なのは、

見えないものの力を信じること

 

 

見えないものとは、

自分の力以外のものであり、目に見えず非物質的であり、確かにわかる根拠もないもの

 

神様 仏様 お釈迦様 如来 お地蔵様 イエスキリスト ブッタ 不動明王 ソース 宇宙

これらは呼び方が違うだけ

みな同じこと

 

だから、お参りしなくたっていい

 

自分の心の中で、見えないものの力を信じ、感謝の気持ちを抱けばいい

 

 

でも、人は忘れる生き物
まるで自分1人の力でここまで生きてきて、いろいろ成し遂げている気になることがあるもの

 

 宗教の習わし、決められた行事(初詣やお墓まいりなど)は、生かされていることを忘れているものにとっては、それを思い出させてくれる良い機会なんだな〜

そう思うと、宗教ってありがたい
よくできてるな〜

でも、その宗教に支配されないようにね

あくまで、自分のために利用させてもらう感じでね

 

だから、ちゃんと守れなくてもいいんだ

守れなかったと罪悪感を感じることはなち

日にちがずれようが、関係ない日であろうが、参拝という行為をすることで、感謝の念を感じることができるなら、決まった日にちでなくてもいいから、できるときに、行えばいいんだ

 

参拝しなくても、感謝の念を感じることができるなら、参拝しなくてもいいんだ

 

 

参拝するのなら

言い伝えられている効果、効能、ご利益にすがるのではなく、参考にする心持ちで

 

どうしても、〇〇を叶えてください

という懇願の思いは執着 依存であり

 

そうではなく、俯瞰して捉え、

どうなっても大丈夫というフラットな心の状態で、今の状況に幸せですと感謝し、もしも叶うなら、〇〇が叶うと嬉しいですと謙虚に、思いを伝えよう

 

 

ここの神社は本当に△△のご利益があるのか?とか

本当に叶ったか?いつ叶うのか?

などと、結果を気にしない求めないこと

 

叶っても叶わなくてもいいや〜ってくらいで

 

本当にご利益のあるところなのかどうかは、願望の成就に関係ないのだ

 

 

ご利益があると信じ、参拝(感謝の念を伝え、おまけで願いを宣言)することで

 

これで、大丈夫だ、という安心感と

きっと叶えてもらえる と希望を感じることになる

この瞬間に、すでによい方向に向かっているのだ

 

やはり、

波動(感情)がこの世の全てなんだな〜

 

同じ波動同士がひき合わされる

 

 

信じるものは救われる とは

引き寄せ(宇宙)の法則のことを表している

 

見えないものの力を信じよう

そして、感謝しよう

 

定期的に産土神さまにお参りし、今日まで守ってくださり、ありがとうございますと感謝しよう

 

いつまでも

見えないものの力を信じている

あたしでいよう❤︎